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ワニ通信                           2012513日)

マラッカ・シンガポール経由で東ティモールのディリへ
聖フランシスコ・ザビエルの東南アジアの宣教拠点マラッカ

 59日、福岡空港1930発の便で出発しました。ディリには12日に到着する予定で、途中聖フランシスコ・ザビエルが東南アジア宣教の拠点としたマラッカと同地域の中心地シンガポールに立ち寄りました。

 マラッカへはシンガポールからバスで出かけます。下調べをしていなかったため、バスターミナルを探すのに苦労しました。シンガポールでは、日本のような「バスセンター」はなく、ビルの一角に乗車券発売所があり、バス出発地は発売所とは別のビルの前にあったりします。所要時間は4時間半で運賃は25シンガポールドル(2000円弱)です。マラッカはマレーシアなので、途中国境を越え出入国手続きがあります。
   
    ↑【写真左】マラッカの旧市街地(中華街の裏通り) 【写真右】丘の上に建つ聖パウロ教会 ザビエルが一時的に埋葬された
 マラッカはかつてムラカ王国が栄え、1511年ポルトガルの、1641年からはオランダの支配を受けました。聖フランシスコ・ザビエルは、1542年〜48年までインド沿岸、セイロン島、マラッカ、そしてティモール近隣のモルッカ諸島で宣教し、マラッカで154712月に日本人アンジローに出会い、日本行きを決意しました。アンジローは、ザビエルに鹿児島まで案内し、そこでザビエルの宣教を手伝いました。
 
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↑【写真左】 丘の上に建つ聖パウロ教会の外観 屋根はない。 聖フランシスコ・ザビエルが一時的に埋葬された。 
【写真右】祭壇の位置から入口を見たところ。

  
↑【写真右】 マラッカ旧市街中心部の運河沿いの建物

   
↑【写真左】旧市街より海岸へ向かったところ。 この辺りは安いホテルがある。 【写真右】旧市街 中華街

  
↑【写真左】旧市街 【写真右】これがマラッカ海峡 どうしても見たくてかなり歩きました。 ザビエルはこの海から東ティモール近海のフローレス島やモルッカ諸島、最後には日本へ向かいました。

  
↑【写真左】河口にあるインドネシア・スマトラ行きの国際航路桟橋 【写真左】この船で紛争地アチェに行けます。

  
↑【写真左】シンガポール空港 この飛行機でディリまで3時間半 シルク・エアーをチャーターしたティモールエアー 週3便
【写真右】ディリ国際空港へ到着 この空港からシンガポール便の他に、、デンバサールとダーウィンに各一日1便運航されています。