メッセージ(Words)メッセージ(Words)

追悼特集

追悼 親愛なる兄 ハイメ・ガラルダ神父へささげる

R.I.P. P.Jaime Garralda, sj.

ハビエル・ガラルダ神父様の最愛のお兄様であるハイメ・ガラルダ神父様が、2018年6月30日14:30にマドリッドにあるイエズス会修道院(Alcala de Henares)にて96年のご生涯を全うされ、帰天されました。

72年間の修道生活、61年間の司祭職のご生涯でした。

7月4日にマドリッドの教会(San Francisco de Borja)にてご葬儀が執り行われました。

慎んでハイメ・ガラルダ神父様の永遠の安息をお祈りいたしますと共に、ハビエル・ガラルダ神父様が天国のお兄様へ宛てられた追悼文をご紹介いたします。

ハイメ・カスタニエダ神父(1931年6月27日~2017年1月22日)

司祭も高齢化社会を迎え、生涯をキリストの司祭職に身を捧げ、日本での宣教の使命を全うされた司祭方が帰天され、ガラルダ神父様が同期生のJaime Fernandez Castaneda神父様の通夜式にその死を偲んで送られた言葉をご紹介いたします。

カスタニエダ神父様は、ガラルダ神父様と時を同じくして同郷に生まれ、イエズス会に入会し来日してからも共に司祭の道を歩まれ、当時の住まいSJハウスでも寝食を共にした最愛の兄弟であったカスタニエダ神父様の帰天は残念で寂しいことと思います。

ガラルダ神父様はしばしばロヨラ・ハウスで療養されている司祭方を見舞い、励ましとお祈りを捧げて帰天された司祭への感謝の思いを綴られております。

ハイメ・カスタニエダ神父(Jaime Fernandez Castaneda神父)

ガラルダ神父様からハイメ・カスタニエダ神父様へ送るメッセージ

2017年1月22日、午後10時5分、Jaime Fernandez Castanedaは、ロヨラハウスで静かに息を引き取りました。85歳の生涯でした。

記憶力と健康が次第に弱くなっていたので、「元気?」と聞けば、ちょっと寂しく微笑んで、「まあ、待っている」と応えていました。

もうイエスが迎えに来ていただいた彼は、完全に嬉しいでしょう。しかし、残された私たちは嬉しくありません。大切な人の大切さは不在の時に感じられるからです。

1931年6月27日、マドリッドに生まれました。お父さんは軍隊の将軍でしたが温かい厳しさのある明るい人でした。一人の弟はイエズス会の司祭でしたし、一人の妹はオプス・ディのシスターです。

マドリッドの「アレネロス」というイエズス会の中高のCLCで聖母マリアにはまりまして、17歳のハイメ少年は、1948年9月14日にアランフェスでイエズス会に入りました。

哲学はマドリッドとアルカラで学び、ウェストンカレッジの哲学院で6ヶ月間にわたって英語を勉強してから、サンフランシスコで小さな貨物船に乗って、5人の若いイエズス会員と共に20日間の厳しい船旅を楽しんで、1958年2月16日に横浜港に到着しました。

日本語学校は田浦で、神学は上石神井神学院で学びました。

1964年3月18日に聖イグナチオ教会の旧聖堂にて叙階されました。

長塚での第三修練を終えてから、S.Louisで哲学の博士号を取得しました。

その後、上智大学人間学研究室、上智社会福祉専門学校長、上智短期大学学長、鍛冶ヶ谷教会主任司祭の勤務を果たしてから、2012年からロヨラハウスで過ごし、4年後に静かに帰天しました。

私と似ていたらしくよく間違えられました。

ある日、アルぺ総長は皆に言いました。「この方に歌を頼んでください。ギターがお上手ですから…」と。ハイメは、不愉快な表情で「ギターに触れたことはございません。」と応えました。

また、いつか私は祭壇ですべきお辞儀をしなかったので、典礼に厳しかった神学院長は早速ハイメを呼んで叱りました。ハイメは、休憩室で「あまりだ!」とぶつぶつ言っていました。

カスタニエダ神父様は、誠実で、アバウトではなく正確に何もかもきちんとする人でした。しかも、目立たなくてもよいという余裕があり、知られざる優しさもありました。

例えば、哲学と神学の試験勉強を私と一緒にしてくれました、本当は私のためでしたが、それを誰にも言わなかったのです。お蔭で優等生の彼は立派な成績を取って、私はギリギリセーフで受かりました。学問のためにも管理者としての能力もあり、学生に深く愛されていました。

ハイメは今、何をしているのでしょうか?

イエスが教えられたのは、死ぬ人間が神にならないで、自然にもならないで、他の命にもならないで、全く違った状況でまさしく同じ人間として生きるということです。

速く動いている扇風機はスピードのあまりに止まっているように見えますが、同じようにハイメは空間と時間を超えた状態で無限のここに永遠の今を喜んで生きていることでしょう。

「主よ、ハイメが蒔いたあなたのたくさんの種を実らせてください。」

葬儀直後、イエズス会員たちは、ハイメの68年のイエズス会生活に感謝して、マリア様の「サルべ・レジナ」を唱えました。ハイメにとって大好きな聖母マリアの讃歌は、最高の贈り物となったことでしょう。

本当にお疲れさまでした。有難うございました。また、会いましょう!

フランソワ・ドゥ・フロモン神父(帰化名:父路門フランソワ
(1931年11月20~2014年8月9日)

イエズス会フランス人司祭で日本人に帰化されたフランソワ父路門神父様は、ガラルダ神父様と共に1964年3月18日に司祭叙階、上智大学フランス文学科にて教鞭をとられ、2014年3月に司祭叙階50周年(金祝)を迎えられ、同年8月に司祭職を全うされて神様のもとへ旅立たれました。

ガラルダ神父様からフランソワ父路門神父様へ送られたメッセージ

大切な人の大切さは不在で感じられます。その大切な方が居なくなる時、如何に偉大であったことがわかります。
男子寮の四年生が引越しをする3月のある朝のことでした。(1975年頃)
卒業する一人の寮生は、誰もいないメインストリートを雨の中、荷物でいっぱいになった荷車を押していました。それを見ていた父路門神父は、早速、杖を突いて不自由な足を引きづりながら後ろから学生に近寄って小さな傘を差し出しました。そして、自分がずぶ濡れになりながら一緒に歩き続けました。
この光景を偶然見かけた私は、「これこそフランソワだ!」と呟いたのです。
この単純な場面は、彼の人格と一生を表していると思います。

父路門(de Fromont)神父は強い人でした。難しさを避けないどころか、難しいことをより難しくして(本当に)その難しさをゆっくり乗り越える人でした。富士山に何回も登ってあの大きなブーツで溶岩の上を滑りながら麓まで降りてきました。
自分には厳しくて人には優しいという意味の強さの持ち主でした。
色々な計画と共同体の習慣に関しては、文句がかなり多かったけれども自分自身と自身の病気に対しては愚痴をこぼしたことがないと思います。
小さい時から足の不自由さと闘っていましたが、泣きっ面に蜂で、上智大学のサバティカルの時にフランスで車にはねられて、足のけががより酷くなりましたが、それに対しても何の不平も言いませんでした。

強い方でしたがかなり頑固でした。こちらが「ここに座って」と誘ったら、彼は必ず手の平を振りながら「いいえ、いいえ」と断っていました。あの頑固な男!
ところが、フランソワよりも強い方がいました。日本に来られたお母様が「ここに座りなさい。」と言えば、全く別人になったように彼は言われたとおりにおとなしく座りました。
自分がする質問に対しては、はっきりした返事が来ない限りあきらめないで、いつまでもその質問を繰り返す人でした。まるで「星の王子様」のようでした。
ところが、ロヨラ・ハウスに居た時にはもう話し声が弱くなって唇があまり回らなかったので、耳の遠い私には彼の質問がさっぱり聴こえなかったのです。それなのに私が「そうですね、さぁ、それも言える。」という曖昧な言葉でとぼけることを全く許してくださらなかったのです。では、「あなたが言うとおりです。」と私が最終的に宣言すると彼は逆に「それはないでしょう!」と言い出すのです。
そのような誠実で裏のない人でした。彼の透明性を感じていた寮生は、「父路門先生は寮の良心だ!」と言っていました。

また、素朴で形式的なことが嫌いな人でした。日本語学校時代(1958~1960年)に「今朝はお元気ですか?」とか「よく寝られましたか?」というような決まり文句の挨拶を好まなかったので、「私が反対のことを言わない限り元気なので、いちいちそんなことを聞かないないでください。」とあっさり断ったのです。
その反面、おっちょこちょいなところもありました。日本語学校の授業の時、皆の日本語の間違いが面白かったのですが、ある日、彼は「浦島太郎」のことを「うらしまマタロー」(Mataro 地中海の町)と言ったので大笑いしました。
宣教司牧も大好きでした。1974年からフランス文学部助教授であった彼は、上智大学の三木図書館で毎週水曜日の18時から学生を集めて聖書講座を開いていました。父路門神父に本物を感じていたあの当時の学生たちは、深い感銘を受け、今でもその影響について懐かしく語っております。
上智大学名誉教授に就任されてからも宇部教会、防府教会などで活躍していました。
その後、ロヨラ・ハウスに住むようになってからも毎週日曜日の8時30分からお昼まで、聴罪司祭として聖イグナチオ教会で告解を聴いていました。上石神井修道院から通うことができなくなる時までその司牧活動を続けていました。
彼の清い目と子供のような微笑を見る人はきれいな心を垣間見ることができました。
何よりもぶどうの木にしっかりつながった枝だったのでたくさんの実を結ぶことができました。地味で豊かな実です。神とのコミュニケーション、つまり、祈りの必要性と喜びを深く感じている本物の司祭でした。本物だけが残ります。

彼について言えるよいことは、もっともっとたくさんあります。
しかし、天国からこれを読む父路門神父は「そんな、そんな!この大げさな褒め方は気持ちが悪いからやめてください。」と叫ぶでしょう。でも、天国のお母様は「あなたは黙っていればよいわよ!」と叱ってくださるでしょう。
この素晴らしい方と友達になれた私たちは非常に嬉しく思います。
私たちは、父路門神父の生き方から深い刺激を受けていますし、彼に対する尊敬と感謝で心がいっぱいです。
私たちから離れて、神の身近な温かさに包まれて、時間と空間を超えて、無限のここに永遠の今を生きています。
今こそ幸せ。また会えるのです。
(2014年8月18日記)